ウクライナ情勢に生きるマキャヴェリの『戦術論』

経営戦略ないしビジネス戦略を論じるためには、「戦略」という言葉の元になっている
本当の戦争の戦略論を抜きにして語れないですね。

そこで、1枚で分かる戦争論・戦略論の略史を作ってみました(下図)。

その中で、中国の『孫子』は非常に重要な存在ですが、孫子については以前触れたので、
今回、ウクライナ情勢とも関係があるイタリアのマキャヴェリの『戦術論』について
触れてみたいと思います。

マキャヴェリといえば、『君主論』が有名ですが、彼は、戦争についての本も書いています。
それが、『戦術論』です。

マキャヴェリは、15~16世紀のイタリアルネッサンス期のフィレンツェの人です。
フィレンツェといえば、メジチ家が有名ですが、芸術家の保護を行う一方で、
実質的な独裁を行ったロレンツィオ・メジチ(大ロレンツィオ)の死後、
メジチ家が追放され、その後の共和国政府で、内政・軍政を担当する第2書記局長を務め、
軍隊の編成・指揮や外交交渉等を担いましたが、政権交代により解任され、
故郷で隠遁時に『君主論』や『戦術論』を執筆しました。

当時、軍隊は傭兵隊が中心だったのですが、政府の言うことを聞かず、真剣に戦わない傭兵隊ではなく、
フィレンツェ市民からなる「市民兵」が必要なことを彼は提唱しました。
そして、実際に市民兵を組成させ、彼らに軍事訓練等を与えて、戦闘に参加させ、一部勝利も収めました。

この市民兵の考え方は、その後「徴兵制」として、『戦術論』に感化されたフランスなどの
西欧諸国に広まっていったといいます。
日本も明治政府になって、その西欧の考え方に倣って徴兵制を導入し、それが太平洋戦争時まで
続きました。

今回のウクライナ情勢でいうと、2014年のロシアによるクリミア併合時までは、ウクライナでは
徴兵制を取っていなかったのですが、いとも簡単にクリミアをロシアに奪われたので、
その後徴兵制を導入し、市民に戦闘訓練を施していたのでした。

その成果が出たのが、今回のウクライナ戦争の第1ステップです。
国を守ろうという勇敢なウクライナ兵士は、「演習のため」と騙されてかき集められたロシア軍兵士とは
士気が段違いで、首都キーウ(キエフ)を防衛することができました。

このように、戦争・戦略論の歴史というのは、実際の戦争体験(勝利・敗北両方を含め)に基づいたものなので、
どのような考え方が提起されて、活用されてきたのかは、学ぶ価値がありますね。

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