PM2.5のその後

(以下の文章は、望ましい将来像を語っているものです。)

そろそろ桜が咲こうかという3月半ば、井口は、自宅のベランダから外を眺めながらこう呟いた。「今日も、スカイツリーがよく見えるね。今年は、3月でもスカイツリーが見える日が多いね。」高さ634メートルのグレーの色をしたスカイツリーが、新宿副都心の北側にスーと立っている。傍らで聞いていた妻の由紀子が、「そうねぇ。今年はよく見える日が多いわね。」と相槌を打った。「これなら、今年の花見は外出大丈夫だな。」と安心そうにいう。

井口の自宅は三鷹にある。その三鷹のマンションから、晴れて空気がきれいな日には、北関東の筑波山や日光連山、赤城山等が見える。墨田区にあるスカイツリーまではおよそ30キロ、新宿までは15キロ程度の距離である。

「何年か前まで、春になると中国から黄砂とともにPM2.5がたくさん飛来して、外出自粛令が出て、花見にもおちおちと出られない日がきたけど、ようやく中国でのPM2.5対策が進んで来たみたいだね。」と井口。「そりゃそうでしょ。中国の人たちだって、日本でこんだけ被害が出ていたんだから、地元で被害ないわけないじゃない。喘息や呼吸困難な人がたくさん出て、社会問題になったから、対策打ったんでしょう。」と当然だというふうの由紀子。

中国は、1990年代から工業化が進んだが、日本と異なり、エネルギーの多くを国内で算出する石炭に依存してきた。石油や天然ガスは輸入に頼り、貿易収支を悪化させるため、国産の石炭を火力発電や燃料に使ってきた。このため、石炭を燃やす際の硫黄酸化物等が大気中にPM2.5と呼ばれる微粒子として飛散し、大気汚染の原因となってきた。中国は、沿岸部のみならず、内陸部まで工業化が進んだため、中国全土で大気汚染が進み、その汚染された空気が、拡散して薄められながら、偏西風に乗って日本上空にやってきていたのである。まさに「越境汚染」とはこのことである。

中国政府は、長らく国を国民を富ませることを第一優先にやってきたが、2010年には、GDPで日本を抜き、米国に次いで世界第2位になり、自動車生産台数でも、年間2,000万台を超えて、世界第1位の自動車生産国になり、だんだんと国民の豊かさが増してきた。そして、インターネットの普及と、海外旅行者の増加により、国民の意識も、だんだんとリベラルになってきた。

そうした中で、昭和40年代に公害問題に悩まされた日本と同様、経済発展に伴う大気汚染、環境汚染に悩まされるようになり、民衆からの不満、訴えに押されるようにして、政府も対策を取るようになった。

具体的には、火力発電所や石炭を使う燃焼機器にすべて脱硫装置を付け、脱硫装置を稼働させないと燃焼させることができないようにしたとともに、排気ガス中の硫黄酸化物等の濃度が高くなると、自動的に停止するようにプログラムされている。また、その装置から燃焼状態を示すデータが収集されるようになっていて、一定以上の規模を持つ燃焼装置のデータは当局によって監視されるようになったのである。

また、自動車は、かつて古い排ガス処理技術の車が大量に製造・販売されたが、車検制度により、そうした車は、廃車にされるか、排ガス浄化装置の装着を義務付けられた。万一、それらに違反すると、多額の罰金を取られるか、悪質な場合は、禁固刑が科されることになった。

こうした活動には、日本のメーカーの環境技術も大きく貢献している。発電所や燃焼装置の脱硫化には、日本の重電・化学メーカーの装置や機器が技術供与などの形で提供されているし、自動車関係も、クリーンな排気ガス技術が供与され、中国国産車にも搭載されている。

その時、井口の携帯電話が鳴った。北京の友人の夏さんからだ。「ニイハオ。井口さん。今年の北京での特別講義は、いつにしますか?」井口は、彼が勤めている大学の客員教授を務めている。年に一、二度特別講義に出かけ、英語で講義をしている。「そうですね。夏は暑いでしょうから、10月頃はどうですか?」と応える。「最近は、北京の空気も日本の技術できれいになりましたから、安心してきてください。」さすがに中国人だ。大げさな表現とともにお世辞もうまい。「分かりました。では、そちらの希望日をメールで2、3教えてください。」そう言って、電話を切った。

大気汚染・環境問題対策への協力がもとで日中関係も改善している今日この頃である。

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