「アリとキリギリス」と聞いて、おとぎ話の場面をすぐに思い出せるように、ストーリーは記憶・印象に残る。ストーリーは、ただ文章に書いて人に読んでもらうだけでなく、それを語って伝えることで、人に感銘を与え、聴いてくれた人たちを動かすこともできる。
2009年1月20日、アメリカ合衆国第44代大統領に就任したバラク・オバマが、ワシントンで大統領就任演説を行った。私は、世界経済の早期のリーマンショックからの危機脱出を願いつつ彼のスピーチを聴いた。初の黒人大統領として選ばれた彼の語りは力強く、我々の心に訴えかけた。1963年、同じワシントンのリンカーン記念堂の前で、オバマ大統領が敬愛する黒人解放運動の指導者マーチン・ルーサー・キング牧師が、“I HAVE A DREAM”という歴史に残るスピーチを行っている。

当時、アメリカは、南部諸州を中心に黒人差別がおこなわれていた。例えば、トイレや水飲み場が白人用と黒人用で分かれている等、現在では考えられないような差別が残っていた。キング牧師は、そうした中で、公民権運動という黒人差別をなくす運動の指導者だった。

キング牧師が云うには、「私には、夢がある。・・・・幼い黒人の子供達が幼い白人の子供達と手に手を取り合って歩けるような日がくることを。・・・・」と。キング牧師のスピーチは、前回ストーリーの特徴で紹介したように、場面がイメージできるように表現してあり、臨場感が湧いてくるのである。

この部分には少し説明が必要である。アメリカ社会は、基本的に同じ人種の人たちが集まって住み、コミュニティを形成している。このため、別々の人種の人たちが同じ街に入り混じって住むことは稀である。私も、オバマ大統領の出身地であるシカゴに住んでいたことがある。シカゴ市南部では、通りを一つ隔てると、別の人種のコミュニティだったりする。ここから東は黒人街、ここから西はポーランド人街などというようになっている。街の風景も通り一つ隔てるとがらりと変わる。家の大きさや街のきれいさなど、道一つでこんなに変わってしまうのか、と驚く。だから、ふつう白人と黒人の子供がいっしょに手を取り合って遊ぶことは希である。人は、別れて住んでいると疎外感と偏見が生まれる。そして差別が生まれる。オバマ氏の就任演説にも、「60年前に私の父が、レストランに入れてもらえないことがあった」として父親を紹介する場面があった。だから、キング牧師は、自分自身が差別を受けた経験を踏まえて、異なる人種でも平等に扱われ、お互いに仲良くできる社会を実現したいと、訴えたのである。

キング牧師のこのスピーチは、大きな反響を呼び、その後アメリカ議会を動かし、翌1964年には「公民権法」が成立し、法律上で人種による差別が禁止された。キング牧師は、いわばスピーチ一つでアメリカ全体を動かしたのである。

私たちが提唱している「ビジョン・ストーリー」も、キング牧師のスピーチのように、実現したい将来像をストーリーの形で「語って」伝えられるようにしている。ストーリーを文章にすることで、私たちは自分自身のイメージを明確化することができる。そして、その内容を声に出して語り、他の人々に聞いてもらう。このビジョン・ストーリーは、経営ビジョンの発表の際や、部門ビジョンの提言、個人ビジョンの紹介等にも活用してもらっている。

私たち日本人は、小学校以来、「語り方」について学んだことがほとんどない。会社に入ってからも話し方について指導を受けたことがある人はまれである。だから、日本の総理大臣も、小泉元総理は「郵政民営化に賛成か、反対か」を争点にして衆議院選を行い、選挙に勝利し、衆議院の2/3の議席を獲得することができた。しかし、彼以降の首相には、政治家としての語る力が不足している。その人なりの「しゃべり方」になってしまっている。一方、アメリカでは一般に小さい頃から子供にスピーチのトレーニングを施している。大統領に至っては、専門のコーチがついてスピーチの指導を受けているのである。日米の比較を行うことで、皆さんにも「語る力」の重要性について合点が行くはずである。

だから、「ビジョン・ストーリー」の語りも練習が必要で、受講者はトレーニングを積むと語りがうまくなる。最初は弱々しい語り口だった受講者が、しばらくすると見違えるように雄弁に将来を語るようになる。私は、ぜひとも日本の皆さんにも語りの重要性に気づいてもらい、多くの人が自分が考える望ましい未来について語れるようになってほしいものだと思う。

このコラムは、雑誌「ビズテリア経営企画」に連載した「ストーリーテリングで人を動かす」10回シリーズを再掲しています。