よく「明確な目標を持て」と言われる。明確な目標とは、将来の特定時期にこうなりたいという目標である。スポーツ選手で言うと、オリンピックでメダルを取る、などの目標である。明確な目標を持てると、それを達成する意欲が湧くし、その目標達成に向けて現在の自分に足りないものが認識でき、それを補うための方策を考えたり、実行したりする。だから、明確な目標がある場合は、基本的に人間は前向きになれる(図表参照)。おそらく読者の皆さんも、過去自分のことを振り返ってみて、明確な目標が持てた時は前向きな気持ちが強かったという記憶があるのではないだろうか。
それに対して、明確な目標が持てないときは、モチベーションが上がらないため、現状に対する不平・不満が多くなるし、自分の不満の原因を他人に押し付けがちである(いわゆる他責)。先の北京オリンピックで水泳の北島康介選手がみごと2つの金メダルを獲得したが、彼もアテネで2つの金メダルを取ってからしばらくは調子の上がらない時期があった。怪我もしたようで、どうやら彼はその時期目標を喪失していたようである。彼のような精神力の強い選手でも、一度目標を見失うと、モチベーションの低下にさいなまれてしまう。しかし、北島選手の場合は、北京に向けて再度目標を設定し直し、きちんと追い込むことができたので、再び金メダルを2つ獲ることができたのである。彼が一つ目の金メダルを獲得した100メートル平泳ぎ決勝で、ゴールした後の両こぶしを挙げての雄叫びと、歓喜の涙でインタビューに応えられない様は我々の瞼に鮮明に焼き付いている。それだけ彼にとっても嬉しい金メダルだったのである。

その持つべき明確な目標の設定方法には2つあると言われている。一つは、現状から方策を積み上げていって、これだけやればここまで到達できるという現状延長型の目標である。このやり方は、理解はしやすいが、目標のレベルが低くなり、夢が小さくなりがちである。もう一つの方法は、先に大きな目標を立て、それと現状を対比し、足りないものを明らかにしてギャップを埋めていこうというものである。以前の回で取り上げた本田宗一郎さんは明らかに後者のタイプである。このため世の中では、よくこの後者のやり方をしないさいと言われているが、筆者のこれまでの経験では、この後者のやり方ができる人は1割に満たない。残り9割の人は前者の方法を取っている。これは思考パターンの癖のようなもので、容易にこのパターンは変えられないのである。

しかし、我々が活用している「ビジョン・ストーリー」という方法を使うと、ほとんど誰でも後者のような発想パターンを身につけることができる。この手法は、石川正樹氏の開発によるものだが、最先端の脳科学理論や大脳生理学の理論に基づいて組み立てられている。

ビジョン・ストーリーの特徴や作成方法については回を改めて説明するが、ここではまず、明確な将来目標=ビジョンの要件について整理しておきたい。企業変革理論で有名なハーバード大学のジョン・コッター教授は、優れたビジョンの条件を6つ提示していて、その筆頭に、「将来のイメージが明確であること」を挙げている。重要なのは、「イメージ」という部分である。イメージという限りは、絵や映像のようなものでなければならないということだ。確かに、ハイビジョンという言葉には映像という意味が込められている。しかし、筆者の見るところでは、企業が打ち出す「経営ビジョン」や政府の打ち出す「○○ビジョン」なるものの解説をいくら読んでも、絵やイメージのように思い浮かべられるものはほとんどない。例えば、三洋電機のホームページには、「目指すべき企業像『環境・エナジー先進メーカー』」としている。しかし、「環境・エナジー先進メーカー」という言葉だけでは、「企業像」というだけの「像」が浮かんでこないのである。果たして将来像やビジョンという言葉は適正に使われているのだろうか?次回は、この部分を明らかにしたい。

このコラムは、雑誌「ビズテリア経営企画」に連載した「ストーリーテリングで人を動かす」10回シリーズを再掲しています。