ストーリーテリングが効果的なシチュエーションのうち、「価値観を伝える」ということについて考えてみたい。
「価値観を伝える」には、過去の優れた経営者の判断や行動を引き合いに出すのが効果的である。例えば、本田技研では、本田宗一郎さんの様々な武勇伝を語り伝える中でホンダが大切にする価値観・DNAを伝承している。宗一郎さんのエピソードに次のような話がある。

ホンダがまだバイクメーカーだった1954年、宗一郎さんは、当時英国のマン島で行われていた世界最高峰のレースに出場することを宣言した。ホンダがまだようやく量販バイクを売り始めたころで、当時のホンダには、まだそうしたレースに出場する実力がまったくない時代だった。宣言したからにはと、宗一郎さん、そのレースを見に行って、実物を見て驚いた。とても当時の本田の技術では勝てる代物ではなかったのだ。「とんでもないことを宣言してしまった。」と、一瞬ひるんだ宗一郎さんだったが、すぐに負けん気が頭をもたげてきて、その海外出張の帰りに、ヨーロッパの優秀なバイク部品を買い集めて帰ってきたそうだ。帰国後、宗一郎さんはすぐに、これまでの開発体制ではとてもマン島のレースに出られるバイクは作れないと考え、技術研究所を別に設立したという。これが現在も続く後の株式会社本田技術研究所の出発点である。カーメーカとしては珍しく現在でも開発部隊が別会社になっている。この技術研究所が中心になって、レースに出られるエンジンを開発し、5年後には実際にレース出場を果たし、そのまた2年後には、みごと優勝を収めている。これをきっかけにしてホンダは世界一のバイクメーカーになっていったのである。

ホンダでは、よく、まず初めに「ありたき姿」を描き、その後、どうしたらそこに辿り着けるかを考えるという発想をするんだ、といわれる。しかし、ただ単にそういう風に諭されても、実際にどうやったらいいかイメージが浮かばない。なぜなら普通の人は、まず自分がやれそうなことを先に考えて、それをやったらどうなるかという発想をするからで、「ありたき姿」を先に考えろ、と言われても、ピンと来ない。しかし、先の宗一郎さんのエピソードは、まさに「ありたき姿」(=世界最高峰のマン島のレースに優勝すること)を考え、それを実現するにはどうしたらいいかを考える、ということを地で行っているのである。宗一郎さんがそうしてきたからこそ、今日のホンダがあるのだ、といわれると、実話なので反論のしようがない。また、実際にそうして成果を上げてきたのだから、そういうやり方を自分たちもやってみようという気持ちにもなる。

一般に、企業理念などに書かれている言葉は、その企業が大切にする価値観を表しているが、抽象的な表現が多い。その分、どこの会社の企業理念も表現が似てくる。そして言葉が抽象的であればあるほど、その意味するところは、曖昧になっていく。

しかし、企業理念は、その企業が長年実践してきたこと、心がけてきたことを集大成した言葉の集まりであり、それだけ事実、歴史の裏付けがあるものであるはずだ。だから企業理念を浸透させるには、理念の言葉、一つ一つに創業者、経営者のエピソードを交え、なぜその言葉が大切であるのか理解してもらえるようにすればいいのである。そうすれば、今ある企業理念の言葉ももっとよく社員の人たちに実感を持って伝わるのではないだろうか。

価値観や思考パターンを伝える際にストーリーテリングを活用するポイントは、まず創業者や、過去会社に貢献のあった人に関連したエピソードを語ること。宗一郎さんの例では、マン島のレースに出場した話である。次に、そのエピソードが、その価値観や思考パターンにどう紐付いているかを分かるように説明すること。ホンダのケースでは、宗一郎さんのエピソードがまず「ありたき姿を考える」という発想方法と同じであることを述べる。そして、そのような価値観や思考パターンを取ることによってその後どのようなよいことがあるか、起こるかを説明する。ホンダのケースでは、今日のホンダの発展が、そうした発想の賜物であることを語る。最後に、この話を聞いた皆さんも、そのように心がけて下さい、というメッセージで締めくくるのである。そうすることによって、ストーリーテリングを価値観や思考パターンの伝承に役立てることができるのである。

このコラムは、雑誌「ビズテリア経営企画」に連載した「ストーリーテリングで人を動かす」10回シリーズを再掲しています。